東京高等裁判所 昭和26年(う)3244号 判決 1952年4月24日
控訴人 被告人 石川昭三及び佐山岩作の原審弁護人
検察官 田中政義 野中光治関与
主文
本件各控訴を棄却する。
理由
弁護人蓬田武の控訴趣意は別紙記載のとおりで、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
論旨第一点について
論旨は、本件は宇都宮地方裁判所栃木支部で審判すべきものであつたのに宇都宮地方裁判所のいわゆる本庁でこれを審判したのは不法に管轄を認めたものだというのである。しかしながら、地方裁判所の支部は、地方裁判所の事務の一部を取り扱うためその地方裁判所の管轄区域内に設けられるもので(裁判所法第三十一条第一項)、要するにその地方裁判所の一部であるにすぎず、いわゆる本庁と別個独立な裁判所なのではない。従つて、ある事件をその地方裁判所の本庁において審判するか支部において審判するかは、同一裁判所内の事務の配分の問題であるに止まり、訴訟法にいう管轄の問題とはならないのである。本件についてこれを見ると、本件はその犯罪地も被告人らの住所、居所も栃木県内であるから、起訴当時の被告人らの現在地の問題を云々するまでもなく宇都宮地方裁判所の管轄に属するものであること明らかである。しからばこれを宇都宮地方裁判所の本庁で審判したからといつてなんら不法に管轄を認めたものとはいえず、その他原審の訴訟手続に管轄に関する規定に違背した点は認められないから、論旨は理由がない。
論旨第二点について
刑事訴訟法第四十四条第一項に「裁判には、理由を附しなければならない」と規定し、同じくその第三百三十五条第一項に「有罪の言渡をするには、罪となるべき事実を示さなければならない」と規定しているのは、裁判一般又は有罪の判決をするに当つては右の事項をも併せ示さなければならないことを規定したにすぎないもので、その理由又は事実を必ず裁判書の中に具体的に記載しなければならないという意味までをも含んでいるものではない。その理由なり理由の一部である罪となるべき事実なりをそのまゝ裁判書に記載するか、あるいは他の書類(特に訴訟記録中のそれ)の記載を引用してこれに代えるかは、要するにこれを示す方法の問題であつて、理由もしくは事実を示すこと自体とは別個に考うべきことがらなのである。いいかえるならば、たとえ引用の方法をとつたにしたところでこれを示したことに変りはないわけで、これを裁判書が全然その点に言及していない場合と同一に論ずることはできないのである。従つて刑事訴訟規則第二百十八条はなんら前記刑事訴訟法第四十四条第一項及び第三百三十五条第一項の例外を定めたものではなく、むしろ法のかゝる規定の存在を前提としてその表示の方法に関する定をしたにすぎないものであるから、裁判所の規則をもつて法律を改変したという所論は正当でないといわなければならない。次に、論旨は引用した場合には引用にかゝる書面を判決書に添附すべきだと主張する。これは恐らく引用にかゝる書面の写を添付すべきだという趣旨であらう。しかしながら、所論のように当該書面の写を添附するということは「引用」という観念の要求するところではない。むしろ判決書とは別個に存在する書面の記載をもつて判決書の記載に代えるのが引用の引用たる所以なのである。たゞ、かような引用を無制限に許すことは判決書を読む者にとりきわめて不便を生ずることを保し難い。それで刑事訴訟規則は引用を許される書面を起訴状その他一定の書面に限つたのであり、これらの書面と判決書とは同一記録に綴られるものであるからその対照に困難はなく、また、判決書の謄本については刑事訴訟規則第五十七条第五項に規定があつて、論旨主張のように引用にかゝる書面の内容を併せ記載すべきものとしてこれを読む者の便宜を十分考慮しているのである。しかし、いずれにしてもそれは要するに便宜の問題にすぎないのであつて、引用に当然伴う本質的なことがらではない。そして、引用を許すことが刑事訴訟法の規定に反するものでないこと前述のごとくである以上、所論は到底理由あるものとはいい難い。なお、論旨は、原判決の記載でははたして起訴状記載事実の全部を引用したものか一部を引用したものか不明だと主張するが、特にその一部を引用する旨を断らない限り全部を引用する趣旨であることは当然であるから、この主張もまた採用の限りでない。論旨は要するに理由がないといわなければならない。
論旨第三点について
本件においては要するに被告人両名が人の看守する建造物である国家地方警察栃木地区警察署及び栃木市警察署共用の庁舎内に「故なく侵入」したものであるかどうかゞ問題の焦点なのである。そして、被告人両名が右庁舎内に立ち入つたことは争のないところであるから、右の立ち入りがまず刑法第百三十条にいわゆる「侵入」に該当するかどうかを考えてみるのに「侵入」とは、この場合右の建造物を看守する者の意に反して建造物内に立ち入ることをいうのである。従つて、被告人両名の立ち入り行為が「侵入」でないというためには、看守者がこれに明示もしくは黙示の同意を与えたか、又はその立ち入りにつき看守者の推定的同意が認められることを必要とするといわなければならない。ところで、原審証人片岡十四男の供述によると、同人が被告人両名の後を追つて行つてみた時にはすでに被告人石川は庁舎南側入口より入つた宿直室前廊下に立つており、被告人佐山はさらに同庁舎内東奥の方にいたことが認められるのであつて、かくのごとく被告人両名が庁舎内に立ち入るにつき最初になんびとの明示の承諾をも得なかつたことは原審において取り調べた諸般の証拠上明らかであり、被告人らもまた別にこれを否定してはいないのである。たゞ、原審の検証調書の記載によつても、右庁舎の前記入口は別にこれを閉鎖してなく、開放的な状態にあることが認められる。そして、右建造物は警察署として使用されているものであるから、その公共性からいつて、正当な用務のために来た者に対しては予め一般的にその立入につき黙示の承諾が与えられているものと解しなければならない。従つて、たとえば犯罪の発生したことを告げに来た者とか、警察署から出頭を求められたものが無断でその入口から庁舎内に入つたとしても、こゝにいう「侵入」とはいえないのである。しかしながら被告人両名が、前記のように右入口から庁舎内に立ち入つたのは、論旨にもいうとおり日本共産党下都賀地区委員会名義の宣伝ビラを警察官等に配布するためであつたこと明らかであり、かゝる目的で立ち入ることはもとより公共の機関たる警察署を市民が利用するために立ち入る場合と同一視することはできず、建造物看守者の事前における黙示の承諾の範囲を超えるものであること明白であるから、これをもつて黙示の同意の下に立ち入つたとすることもできない。次に、推定的同意というのは、もし建造物看守者がそこに現在したと仮想した場合その立ち入りに同意したであろうと考えられることをいうのであるが、本件建造物の看守者である警察署長が被告人両名の立ち入りに同意したであろうとは到底考えられないこと原判決の説示するとおりであるから、この点においても本件立ち入りの行為が看守者の意に反したものでないとはいえないのである。すなわち、以上考え来つたところからすると、所論片岡巡査部長が同庁舎に来る前にすでに被告人両名は前記庁舎内に「侵入」していたものである。そして、その立ち入りがよしんば平穏公然になされたものであつたとしても、いやしくも看守者の意に反してなされる限り「侵入」たるを妨げるものではない。なお論旨は、被告人らの立ち入りの動機、目的になんらの不法性がないから、「故なく」侵入したものではないと主張する趣旨をも含むと解せられるが、「故なく」とはいうまでもなく正当の理由のないことをいうのであつて、正当の理由のある侵入とは、たとえば法令により捜索等のため看守者の意に反して立ち入る場合のごときをいうのであり、看守者の意に反してまで建造物に立ち入ることを正当視するためにはきわめて強い理由の存在することを必要とするのである。従つて、たとえ被告人両名の立ち入りの動機が不法なものとはいえないにしても、この程度をもつてしては、それだけから看守者の意に反しても前記庁舎内に立ち入つてよいとはいえぬこと多言を用いるまでもない。目的の合法性は決して手段までをも合法化しはしないのである。次に、論旨は、被告人等は前記庁舎内に入ることにつき署員の明示又は黙示の承諾を得たと主張し特に前記片岡巡査部長の承諾を得たと主張するのであるが、被告人らは右片岡と庁舎内で会う前にすでに故なく同庁舎内に侵入していたものと認むべきことさきに説明したとおりで、いいかえれば被告人らが片岡と出会つたのはその建造物侵入罪が既遂に達した後のことなのであるから、かりにその際同人が同意を与へたとしても犯罪の成否に影響がないのみならず、原審証人片岡十四男の供述によれば、同人は前記のごとく被告人両名に庁舎内で出会つた際「こんなビラなどまかずに帰つたらどうか」と申し告げたことが認められるのであつて、これによれば、たとえそれ以上強く退去を求めなかつたにせよ、同人が被告人らに対しさらにそれ以上庁舎内に立ち入ることを承諾したとか、あるいはこれを黙認したものとは解せられない。また、かりに右片岡が同意を与えたと仮定したところで、同人は右庁舎の看守者ではない。その看守権は退庁して同庁舎内に現在していなくとも依然として建物管理者たる両警察署長に在るのであつて(「看守」というのは現実の監視ということと同義ではない、人をして監視させるのもまた「看守」である)、本件においては右の看守者が旅行その他看守権を自ら行使することのできぬ事情があるためこれを他の者に委ねたというような事実も存しないのであるし、いわんや片岡巡査部長がその看守を署長から委されたというようなことは全然ないのであるから、被告人両名の立ち入りが本来の看守者の意に反するものであること前段の説明によつて明らかである以上、片岡巡査部長が同意したとしてもそれは同意としての効力を有しないものといわなければならない。その他荒川巡査部長の同意があつたかどうかの点のごときは、被告人らが庁舎二階に上り各室にビラを配布して後のことであるから、本件犯罪の成否に関しては問題とならず、多く論ずる必要はないと考える。
次に、論旨は被告人らは建造物侵入罪の故意を欠くものだと主張するのである。しかし、前に説明したように被告人らの行為は警察署庁舎内に最初に立ち入つたときにすでに刑法第百三十条の罪の既遂となるのであるが、被告人らとして前記のような目的で警察署に入ることが建造物看守者たる警察署長の意に反するものであることは諸般の情勢上当然知つていたものと認めなければならないし、わざわざ退庁後の時間を選んで庁舎内に入つたこと自体がそのことを推知させるのである。しからば被告人らに故意なしとする所論はすでにこの点において採用し難いのみならず、その後において被告人らが片岡巡査部長の承諾を得たと信じたという点についても、さきに説明したその際の右片岡の態度に徴しそのように信じたものとは認め難く、またかりに所論のごとく片岡の同意のあつたものと信じたとしても、片岡巡査部長に同意を与える権限のないこと前述のとおりであるから、これをもつて被告人らの故意の阻却を云々することはできないものといわなければならない。以上いずれの点においても論旨は理由がない。
(その他の判決理由は省略する。)
(裁判長判事 大塚今比古 判事 山田要治 判事 中野次雄)
控訴趣意
第一点原判決は不法に管轄を認めている。 起訴状記載の公訴事実は「被告人両名は共謀の上警官のみなさんえと題する日本共産党下都賀地区委員会発行名義のアヂビラを撒布する目的で昭和二十五年十一月二十一日午後五時五十分頃栃木市室町二二一番地所在国家地方警察栃木地区警察署長大森計栃木市警察長郡司金録共同看守に係る右警察署の建造物内に故なく侵入したものである。」とあり、被告人石川昭三の本籍並住居は下都賀郡稲葉村大字福和田一、五八九番地の二、被告人佐山岩作の本籍は下都賀郡静和村大字曲島一〇一番地、住居は栃木市万町三丁目四五六番地であることは起訴状記載の通りであるので犯罪地、住居の関係から宇都宮地方裁判所栃木支部(甲号支部)に管轄があること明である。被告両名が栃木警察署によつて逮捕されたに拘らず検事は故らに宇都宮市所在小幡町拘置支所に拘置の上宇都宮地方裁判所に起訴したのである。
原審公判審理の冐頭に於て、弁護人は、被告等の住居地及び事件発生の場所よりして本件は宇都宮地方裁判所栃木支部に於て審理するを相当と思料する。検察官が本件を宇都宮地方裁判所に起訴した理由を裁判官を通して釈明を求め、検察官は、本職は宇都宮地方検察庁公安部長として全県下のこの種事件の処理につき全責任を負うものにして、本件は本職の勤務する宇都宮地方検察庁所在地たる宇都宮市に設置せられた宇都宮地方裁判所に起訴するを妥当と認める。且つ起訴当時被告等は宇都宮所在の小幡町拘置支所に勾留されていたものであつて現在地を管轄する宇都宮地方裁判所に起訴したことは何等違法ではない。と述べた。弁護人は、地方裁判所支部は被告人の居住地其の他の条件を考慮して被告人の利益を図るために設けられたものであり、本件を宇都宮地方裁判所に於て審理する如きは本庁が支部の管轄権を侵害することであり、之は支部設置を規定する裁判所法の精神に反するものと云わなければならない。本件は前述の通り被告人等の住居が栃木市近在であり、特に本件発生場所が栃木市なのであるから当然栃木支部に移送すべき事件である。検察庁の一片の思考により実質上裁判所法を蹂躪する如きことは許さるべきことでない。と述べた。被告人石川昭三は、私は貧困のため公判期日に宇都宮に来る旅費にも事欠く状態である。私は逮捕され即刻宇都宮地方検察庁に送致されて小幡町拘置支所に勾留されて居る間に起訴されたのであり、弁護人の申立を入れて是非本件を栃木支部に移送されたい。と述べた。被告人佐山岩作は、本件は当然栃木に於て審理さるべき事件であつたに拘らず宇都宮に送られた。本件は宇都宮地方裁判所に於て審理するとすれば裁判所が検察庁によつて左右されたと云はざるを得ない。裁判所が検察庁によつて左右された事実は第二次世界大戦前にもあつたが私は今再び第二次世界大戦前のそれと同じようなことが繰返されることを恐れる。人民の権利を守る上に於て是非本件を栃木支部に移送されたい。と述べた。裁判官は、弁護人の移送の申立を却下する旨の決定を宣し次で被告人等の住居及び本件発生現場は栃木支部の管轄区域内であるが、被告人等の起訴当時の現在地が宇都宮市内であつたことが窺はれる。且つ本件に窺はれた一切の実情を考慮しても特に栃木支部に移送するを要するものと認むべき事情も理由も存しない。と右決定の理由を告げた。弁護人は、起訴当時の被告人等の現在地が宇都宮であつたというが之は検察官が被告人等を宇都宮に送致させた結果であつて、さようなことは本件を宇都宮地方裁判所に於て審理する理由にならないものと思料するから移送申立却下の決定には異議がある。と述べた(記録二一丁-二七丁)。蓋し裁判所の土地管轄につき刑訴第二条が犯罪地又は被告人の住所、居所若しくは現在地によると規定したのは裁判所に於ける審理の便宜上被告人の利益を考慮してのものであつて、侵入建造物の所在其実況等につき現地に出張検証並現場に於て証人訊問をした原審の審理の実情被告人の公判出頭の利益等よりするも栃木支部に於て審理するが刑訴第一条に定めたる被告の基本的人権の保障に合致するものであり、故らに宇都宮裁判所に於て審理する何等の便宜理由も発見せられない。而も起訴時の被告人の現在地が宇都宮なるが故に管轄ありとするは極めて不合理であり、この場合に於ける現在地は被告の意思を無視して検事の強制力の濫用によつてその形態を作られたにすぎず、結果は検察官の勝手気侭に基いて土地管轄が自由に創設されるに至るであらう。原審は本件につき不法に管轄を認めたものとして原判決は破棄さるべきである。
第二点原判決は理由を附せざるの違法がある。原判決は理由として罪となるべき事実の項に起訴状記載の事実を引用するとのみ記してあるにすぎず犯罪事実の具体性を全く現していない。如何なる犯罪事実に基いて主文の如き有罪判決を下されたか一切不明である。裁判には理由を附さなければならない(刑訴四四条)。有罪の言渡をするには罪となるべき事実、証拠の標目及び法令の適用を示さなければならない(刑訴三三五条)。と規定してある。
刑事訴訟規則第二一八条「地方裁判所又は簡易裁判所においては判決書には起訴状に記載された公訴事実又は訴因若しくは罰条を追加若しくは変更する書面に記載された事実を引用することができる」と記載してあるが、この場合には引用した文書を判決書に添付すべきであり、それによつて理由中罪となるべき事実の部分に記載を省略してよいと解すべきである。判決書は独立文書であつて、それのみによつて罪となるべき事実を知り得るものでなければならぬ。起訴状や訴因若しくは罰条を追加若しくは変更する書面は被告人に送達されてあるから承知の筈につき省略してもよいと云う論はあたらない。而かも単に起訴状記載の事実を引用するとの表示は一部の引用か全部の引用かも不明であり、判決それ自体には罪となるべき事実は一切表示せられぬことになる。斯の如き不合理があらうか。刑事訴訟規則第二一九条「地方裁判所又は簡易裁判所においては上訴の申立がなく、且つ判決宣告の日から十四日以内に判決書の謄本の請求がない場合には裁判所書記に判決主文並びに罪となるべき事実の要旨及び適用した罰条を判決の宣告をした公判期日の調書の末尾に記載させ、これを以て判決書に代えることができる」と記載してある。所謂簡易なる手続の調書判決においてさへも罪となるべき事実の要旨を記載することを規定して調書判決書のみによつて罪となるべき事実の具体性を表示すべきことを命じている点からするも刑訴規則第二一八条の判決書への引用の意味は引用事実が判決書に明示される方法をとるべきことを命じていることは疑ない。もし原判決の如き表示が有効とすれば刑訴第四四条第三三五条を規則第二一八条により変改したことになり、かゝる規則は無効である。此の点に於て原判決は法律の命じた理由を附せぬ違法があり破棄さるべきである。
第三点原判決は判決に影響を及ぼすべき事実の誤認がある。
本件の起因は栃木市前公安委員村上吉衛が大脱税行為をなし日本共産党栃木市委員会より告発され一千三百余万円に上る追徴税の賦課処分を受けたので同人は同委員会の右告発をこゝろよしとせず昭和二十五年十一月八日午後八時頃猟銃、ジヤツクナイフ等を携えて同委員会委員長土淵正一郎方へ赴き同人に対し暴行を加へた為右土淵および日本共産党栃木市委員会委員らは栃木市警察署に対し右土淵の保護および右暴行事件についての公正な捜査、犯人の検挙等の処置を要求したにも拘らず、同署側では何等適切な措置をとらなかつたので、被告人両名は栃木警察署の中堅幹部らに働きかけ腐敗せる栃木市警察署内部の刷新民主化をはかる為、宣伝ビラを頒布して警察官らに訴へようとしたのであつて、被告人等の栃木警察署内えの立ち入りの動機目的に何等の不法性のないことは原判決表示の如く証人土淵正一郎の証言、証拠物(昭和二十六年(い)第二四号の一乃至六-ビラ並告訴状)によつて明である。又同署内えの立入りおよびビラの頒布については署員の諒解、すなわち明示若しくは黙示の承諾を得た。仮に承諾を得なかつたとしても当時署内、の立入り及びビラの頒布につき制止、峻拒せざりし署員らの態度より見ても被告人らは尠くとも黙示の承諾を得たと信じたのであるから此の点では犯意がなかつたことになる。なお又ビラの頒布についても被告人等は或は直接署員に手交し或はその面前において頒布する等その他平穏公然裡になしたのであつて、ビラ頒布の方法についても何等の危険性なく頒布の結果についても実害を生じていない。ビラの頒布は被告人等の目的である共産主義宣伝の為であり公然たる政治活動であつて、結局本件は故なく侵入したのではなく無罪であると主張するけれども「故ナキ」侵入ではないとする為には、本件にあつては、栃木警察署の管理責任者たる署長(その代理人を含む)の明示若しくは黙示の承諾があつたか又は通常その署長において、他人が建造物たる署内え立入ることを認容する意思があると推測され得る場合(例えば正当の用務を帯びて立入るなど)にその署員らの明示若しくは黙示の承諾があつたときでなければならないと解する。然るに前掲各証拠その他本件にあらわれた、一切の証拠資料によつても宣伝ビラ頒布の目的を以てする被告人らの本件署内えの立入りについて署長その代理者(宿直責任者をも含む)の明示若しくは黙示の承諾があつたことは認められないと判示し、又栃木警察署内えの立入りの動機目的ビラ頒布の方法が被告人らの主張のとおりであつたとしても、特定政党の政策宣伝の為めの政治活動としてその党員が夜間しかも署員の退庁時刻経過後(本件が退庁時刻経過後に行はれたものであることは本件にあらわれた一切の証拠資料によつて明である)に警察署等の庁舎内に立入り宣伝ビラを頒布するようなことは通常その管理者が認容する意思があると推測され得る場合とは目し難いのみならず前記各証拠資料一切によつても栃木警察署々員の何人も宣伝ビラ頒布の目的を以てする被告人らの本件署内えの立入りを明示若しくは黙示に承諾したことは認められない。もつとも被告人両名の当公廷における各供述、証人片岡十四男、同荒川倫任の各証言記載を検討する時は同署内えの立入りに際し被告人両名は同署員片岡巡査部長に対しビラ頒布の目的を告げて署内え立入らうとしたが、同巡査は強く拒絶するなどこれを積極的に制止しようとしたことはなく、又当夜国家地方警察栃木地区警察署の宿直責任者たる片岡巡査部長は被告人らよりビラの交付を受けてそれを閲読し乍ら被告人等に対し頒布の禁止も退去も命じようとしなかつたことが認められるが、然し反対的態度を示してゐたことがうかゞわれ、又荒川巡査部長は被告人等の意図目的については明確には知らず(被告人等はこの点については右荒川に何も告げていない)ことに当時既に被告人等が署内各所えビラを頒布し(被告人らはこの点についても右荒川に何も告げていない)署内立入りの目的をほゞ達成したことを知らなかつたことがうかゞわれるから、以上の各事実を目して暗黙の諒解があつたと言うことはできないし、又そのように信じたとの主張もいさゝか強引に過ぎ採用できない。仮に信じたとしてもそれは被告人らの過失によるものと言はざるを得ない。従つて結局「故ナキ」侵入にあらずとの被告人らの主張および黙示の承諾を得たと信じたとの被告人らの主張も結局採用することはできないと判示しているが、被告石川昭三は「警察署の建物に入るについては入口で片岡と云う巡査部長の諒解を得てあつた、そして入つて後同所の公安部長にも会つてビラを渡し且つ話をしたのであり、更に斎藤という刑事が時間外に入られては困ると云うので片岡部長の諒解を得て入つた旨話したところ、それならいゝと云つて不法侵入でないことを認めたのでした」被告佐山岩作は「我々が警察署の建物に入つたことは事実ですが何等不法の侵入をしたのでなく石川の云う通り了解を得て入つたのです、入つて荒川と云う巡査部長と話していると荒川は今の自治警察では村上をどうすることも出来ないのだと申してをりました(記録三二-三三丁)被告石川昭三は「私と佐山は此処へ((ホ)点を指示した)のところで同人が電話をかけ終るのを待つていたのですがそのうちに片岡部長は電話をかけ終つて出て来たので一枚渡し丁度その時この辺に(同図中(ヘ)を指示した)に数人の人がいたのでその人等にも渡しました、その時片岡は私達の出したビラを快く受それから此処(同図中(ト)点)に来て佐山が婦人警官にビラを一枚渡しました、そして私が取つてくれました、此処(同図中(チ)点)迄来ると片岡が後から来て何だいというのでビラを渡しに来たのだというと同人は俺にみんなくれというのですがお前にばかりはやれないこれから二階に行つて撒いてくると云つたのです、その時片岡部長は留置場の方へ行かうとしている佐山をみつけてやア佐山先生も来ているねと申しました、佐山は留置場の方に行つたのですがその通りには誰もいず撒くような処もないので引返して来ました、それから二人でこの階上((リ)点)を上つてこゝ(同第二図中(ヌ)点)に来たのですと実地につき指示説明した、被告人佐山岩作は三つの部屋のドアが五六寸開いていたのでそこに少しビラを投込んだのです、然しそれらの部屋には誰もいる様子がなかつたのです、それに片岡が拾い集めて了うだろうから誰にも見てもらえないと思い石川もまいても仕方があるまいというので引上げたのです。そして石川と二人でここ((ワ)点の(ヤ))に来てみるとこゝ((カ)点)に荒川という巡査部長が一人火鉢に向つていたので二人で今晩はと云つてビラを渡して帰ろうとすると荒川部長が火にあたつて行けというので火にあたつていると宮田という刑事が入つて来たので同人にもビラを渡し、その後村上の脱税の話やその外色々の世間話をしていたのでした、そして二十分位すると栃木市署の人が七、八人で片岡部長を先頭にして入つて来て一寸来てくれというのです、それで話があるならこゝでもいゝではないかというと片岡らは腕を捉えて引立てんばかりにして来いというのです、荒川部長も用事があるというなら行つてみたらいゝだろうというので私達も行つてみることにしたのです、それから地区の事務室で荒川部長と話したときは同室内にあつた机の上にビラ一枚位宛置いたのでした、市署の人達に連れられて私は此の部屋((ヨ)点)に靴を脱いで上げられこゝの刑事達に何枚ビラをまいたのかとか、どういう風にまいたのかと聞かれたのですが、私は一切答えませんでした、それでその五人の中にいた斎藤という捜査主任が別室へ連れて行かれた石川のところへ行つて調べたらしく暫く私が四人の刑事にとり捲かれて火にあたつていると石川が斎藤主任に伴はれて来て結局私達の帰宅が許されたわけでした、被告人石川昭三は本庁舎二階にビラを撒いたことや荒川部長のところでの状況は佐山が述べた通りですが、私は市署の刑事達に連れ出されてこのへや((オ))へ来たのです、その時は斎藤主任が私を伴い且途中迄片岡部長もついて来ました、そして斎藤からビラを撒かれては困るというので政治活動は憲法で保証されているというと、今度は許可なく入られては困るというのです、それで私は警察に入るのにどういう風に許可を受けるのか、入口で片岡部長に二回も会つてビラを撒くと云つて断つて来たと云つたのです、私は更にあらためて許可は受けなかつたが片岡部長に断つてあるのだというと斎藤主任はそれはそうだな、しかし退庁時間後に来て疑はれては困るから皆がいる時来てくれといゝました、それで私は自分もそうしたいがいそがしくてそう許りも行かないんだ今後さうするように努めるというと斎藤は今後紳士的にやろうと云つて私を連出して佐山のいるところへ行つたのです、そして斎藤主任が佐山に何か云うことはないかと云つたのですが佐山は何も答えませんでした、それで私が自分が責任者だ向うで話した通りだからいゝじやないかと云つて結局帰つてよいと云うことになつたのです(検証調書 丁)。
被告両名は警察署の二階に入る前片岡に入口で会つて話した事実は争なく而かも片岡は既にビラを渡されてその内容を知つており、菊地巡査、佐藤セキよりも同様のビラを渡されたことを話されて被告両名の後をつけて来たのであり、ビラを撒きに来たこと、警察署内に入りビラを署員に手渡すことは承知し乍ら強いて二階に上ることを止めていない、建物不法侵入の犯罪が行はれると考える場合には其職責上当然実力を以て制止すべく、また隣接の寄宿舎には同僚がおり加勢を求めても制止可能の実情であつたことも明白である。片岡が消極的に同意の意思を明にしたものと観るべく、警察署に入るにつきその権限ある片岡より制止されぬ限り同意を得たと信ずるのも我等の経験則上当然であり、本件は故なく侵入したものにあらず、原審は此点に対し故なく侵入したものと誤認して有罪の判決を下したものであり破棄を免れぬ。